●保育所建設の支援を決定
1987年10月オイスカの海外検収センターの支援して欲しい必需品のリストが国内のオイスカ組織に届いた。茨城支局では、「たとえその国が貧しくとも、子ども達が夢を持ち生き生きと生活し、学んでくれれば、将来必ずその国は豊かになることができる」と考え、また教育は国の基本であり、その国の自立に繋がることなどから、バゴ研修センターが要望していた保育所建設を支援することとした。当時のネグロス島は、子どもの数が多く小学校の建設が急務であって保育所の建設までは手が回らないため、地元の人達から要望が強かったのである。
●第1棟目の保育所が完成
オイスカ茨城支局の会員の寄付金及びチャリティバザーの売り上げ金などにより、1988年8月バゴ市タブナン部落に最初の保育所が完成し、村居会長始め8名が竣工式に出席した。
・トイレ、炊事施設併設
・定員 50人(午前・午後の2部制 各25人)
・対象 3才~5才
保育所の中には、子ども達に家庭生活を身に着けさせることを目的にしたミニハウスが作られ、生活用品に似せられた小道具が並んでいた。日本式に言えば「ままごと」の道具である。この部落では、小学校の一室を借りて保育園を運営していたが、児童の増加によって保育園の撤去が求められていた。保育所の保母長から「この地域に住む人達がどれほど感謝しているか、到底言葉では表せません」との令状が届いた。
●現地の技術を活かした保育所
第2棟目のタロック部落に建設した保育所は、早い段階から地元の材料と現地の技術により建設することが考えられていた。雇用の場の少ない島の人々に雇用機会を提供し、維持管理を自分たちの手で行えるように考えたのである。竹をうまく使った窓、ヤシの葉の屋根などいろいろな工夫がされている。しかし、このようなスタイルの保育所はその後建て直され、現在は全ての保育所がモルタル造りの立派な施設になっている。
・木造トタンぶき 100㎡
・トイレ、炊事施設併設
・定員 60人(午前・午後の2部制 各30人)
●保育所の修理作業
茨城支局では、現地の人達の手を借りて、保育所の傷んだ個所の修理作業も実施した。
●地域の中心的な役割を担う保育所
保育所の建設によって子ども達の教育が進み、小学校に入学した後は良い成績をあげるようになった。また母親が働きに行けるようになったことも加わって保育所への入園希望者が多くなった。更に保育所には市の保健センターなどが併設され、コミュニティ施設としての機能を果たすなど地域の中心的な場所として発展している。
●市役所と共同で建設
1994年には、バゴ市の資金も加わり第7棟目の保育所が完成した。市当局も我々の支援活動が一過性のものでないことを理解し、共同で建設することとなったのである。このため、これまでの保育所と比べるとかなり立派な施設が完成した。また、保育所には、鍵盤ハーモニカやカスタネット、タンバリン、ボールなどを届けており、それらの用具を使って充実した教育が行われるようになっている。
●ライオンズクラブなどの協力
茨城支局の活動に様々な形で協力してくれている石下ライオンズクラブの働きかけにより、県西地域のライオンズクラブで組織するライオンズクラブ国際協会333-B地区7リジョンでは、全会員400人対して1年間に一人当たり1,000円の寄付金を3年間行い保育所建設を支援するという決議をしてくれた。毎年40万円、3年間で120万円の資金の提供をいただくことができ活動に弾みがついた。更にマル英商事やつくばソロプチミストから1棟分の建設資金の提供をいただくことができた。
●20棟建設記念式典の開催
2006年8月茨城支局の保育所建設が20棟目を迎えたことを記念して、すべての保育所の先生と園児が集合して記念式典が開催された。第1棟目の保育所を卒業した女性は、「保育所を卒業できたお陰で良い成績を上げることができ、社会人として活躍できた」と感謝の言葉を述べてくれた。
●市役所による保育所建設
当初の保育所建設は、茨城支局が建設資金の全額を負担してスタートしたが、第7棟目からは茨城支局とバゴ市役所が1/2ずつ負担して建設することとなった。共同による建設は26棟目まで行われた。その後は、市役所の事業として建設を進めることとなり、茨城支局は音響機器や床用マットの提供などソフト面での支援に努めてきた。
●チャリティバザーで資金作り
第1棟目の保育所建設資金作りを進めるため水戸市の農家の畑を借りてサツマイモを作り、市のイベントで圧力釜で蒸したサツマイモを販売した。釜が沸騰すると音が出るので、その音に誘われて行列ができるほどであった。その後は、バゴ研修センターで作った繭のコサージュや会員で作った沖縄のお菓子アンダーギーの販売、皆さんから提供していただいたギフト商品や野菜の販売、水ヨウヨウ釣りなど、長年にわたって茨城県民まつりなどの機会を利用して資金作りに努めてきた。その結果、1棟50万円ほど資金を提供し、26棟の保育所を建設することができた。