●砲弾を叩かれると胸が痛む
2002年8月ネグロス島を訪問したとき、「保育所の建設や楽器の提供、マングローブの植林に協力することができたが、その他に茨城で応援できることはないだろうか」と渡辺所長に尋ねたところ、「授業のチャイム代わりに学校の軒下に下がっている砲弾を叩かれると胸が痛むのです」と言われた。校舎の軒先には、太平洋戦争時に日本軍が使用した砲弾の弾頭部分を切り取った破片が下がっていた。学校によっては、車のホイールやガスボンベの一部などを使っている。楽器を届けて良い音楽教育ができるようになってきている中で、金属片を石や棒切れで叩いた音が学校に響くのは良くないと考え、何とか交換できないか思案をした。
●半鐘を作って届ける
ネグロス島から帰国してしばらく思案の日が続いた。ある日ふと空を見上げたら火の見櫓の半鐘が目に入った。これだと思い製造しているところを調べたら、真壁町に小田部鋳造所があることが分かった。早速会社を訪問して半鐘1個を製作してもらった。黄金色に磨かれた半鐘は、23kgの重量である。
●黄金色は困るんです!
完成した半鐘は、2003年4月船便でネグロス島に発送し、8月訪問の際に小学校で贈呈式を行うことができた。その時渡辺所長から「黄金色は困るんです」といわれ驚いた。ネグロス島では未だに山下財宝の伝説を信じている人がいて、日本人が海岸や山を掘っていると、財宝探しをしているのではないかと考える人がいるとのこと。このようなことから黄金色の鐘は、盗難の危険性が高いというのである。届いた第1号の鐘は、鉄格子の籠に入れて校庭に下げられていた。鐘の音は近隣の村人にも届き、時計の代わりになって良いとの評判であった。
●「平和の鐘」と名付ける
小田部鋳造所では、お寺にある梵鐘を作ることが本業である。全国から注文をもらい、400年を超える歴史を誇る会社である。梵鐘は宗教的な意味合いもあることから、半鐘を届けることは誤解を招かないと心配した。そこで広島の原爆記念ドームを思い出し、確認のために広島を訪問した。広島の平和の鐘には、吉田茂首相が「平和」という文字を揮毫していることが分かった。そこでネグロス島に届ける鐘は、広島の平和の鐘のミニュチュアで、平和への願いを込めて製作したものであるというということにした。
●平和の大切さを伝える
半鐘は少し大きすぎることから、海外への運搬には不向きであり、小田部鋳造所にお願いをして1個8kgと小さくし、良い音が出るよう材料の配合にも工夫してもらった。色も黄金色に磨かず金属のそのままの色を使ってもらうこととした。平和の鐘が届いた学校では、「鐘を叩きながら生徒たちに平和の大切さを教えたい」と言ってくれている。
●茨城県つばさの会による協力
県内の青年達の海外研修を目的とした茨城県青年の翼事業をネグロス島で2度実施した。この事業に参加した青年達で組織する茨城県つばさの会(斎藤正彦会長)が、平和の鐘の寄贈に協力してくれ、たくさんの鐘を島に届けることができた。島の学校では、鐘が届くことを心待ちにし、順番待ちの状況がしばらく続いたこともある。また、石下ライオンズクラブ、茨城県文化課有志の会、オイスカ茨城会員、一般市民の皆さんが制作資金の寄付をしてくれ、これまでに180個を超える平和の鐘をネグロス島の学校や公共施設などに届けることができた。
●現地の届いた平和の鐘
平和の鐘が、かつて飢餓の島と言われたことのあるネグロス島の皆さんに良い音色を響かせてくれると同時に、太平洋戦争で亡くなった多くの日本人の心を鎮めてくれることを願っている。